「守りながら変えていく」現場のリアル 「守りながら変えていく」現場のリアル 「守りながら変えていく」現場のリアル

「守りながら変えていく」現場のリアル

11月の末、宇都宮市下荒針町に所在する阿部梨園を訪れました。すっかり葉を落とした梨の木々が、快晴の空に映えています。見えてきたのは、梨の選果・発送場と直売コーナーです。実は栃木県は全国3位の梨の生産地であり、直売を行っている梨園も多いのです。
阿部梨園は、オーナー阿部英生さんの祖父から続く梨園です。3代目の阿部さんは、2004年、26歳の時に梨園を引き継ぎました。味と品質にこだわる阿部さんとスタッフの皆さんで栽培する8種類の梨は、甘くて大きい最高品質の梨として高く評価されています。

顧客も年々増えてきたところに、2014年に、のちに一緒に経営改善を進めることになる、佐川友彦さんとの出会いがありました。そして今では、品質に加えて農家の経営改善のノウハウの面でも大きな注目を集め、多数のメディアで取り上げられています。今回の取材では、阿部さんと佐川さんの対談形式で、お二人の出会いから今後のことまで、お話を伺いました。

インターンから正規雇用へ、2人の本気

阿部さんと佐川さんの出会いは、2014年のことでした。阿部梨園は「家業から事業へ」というテーマを掲げ、インターン生を募集していました。そこに佐川さんが、宇都宮のNPO法人とちぎユースサポーターズネットワークの岩井俊宗さんの紹介で応募したのが、そもそもの始まりでした。佐川さんは、インターン時代に、小さな改善を積み重ねていきましょうと提案し、「プロミス100」と名付けて、阿部さんやスタッフと一緒に小さな経営改善を積み重ねていったそうです。

阿部「佐川くんが、自分のやっていないことに着目してくれたことが、私にとっては大きかったです。率先して動く行動力で、取り組みへの本気度を示してくれました。小さいところから変えていくことで、変化の手応えを感じられるとわかりました。結構序盤に、ふたりでやっていく形が決まったかなって(笑)。4ヶ月でかなり変わりましたし、他のスタッフの反応も良かったです。」

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阿部英生さん

佐川「本気感は最初からお互いにありましたし、伝わりました。伸るか反るか、インターンの時点で方向性をつかみたい思いは共通していましたね。インターンに応募することを決める時、阿部さんが掲げた“家業の事業化”は面白いと思いましたし、親から受けついできた物を形を変えて新しくするのは、生半可な覚悟ではできないと受け取りました。どうせやるなら役に立ちたいし、世の中の課題を掴み取りたい、と思いました。」
ふたりの本気度の掛け合わせで、序盤から、家業から事業化への道筋ができていたようです。

群馬県出身の佐川さんは、小学生のころから環境問題に興味を持ち、進学した都内の大学では農学を専攻されました。アメリカに本社がある世界最大規模の化学会社デュポンの研究開発職に就職し、宇都宮に住んだこともあったそうです。

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佐川友彦さん

佐川「技術職だった前職をやめた後、友人のいる栃木で仕事を探しました。次は、ローカルで、誰かが喜んでくれる場面に立ち会える仕事に就きたい、と思っていました。阿部梨園でインターンし、農業にはやれることはいっぱいあるなと気づきました。どうなるか先は見えなかったけれど、まずは4ヶ月、がむしゃらにやってみました。」

そして、4ヶ月のインターンの後、佐川さんは阿部さんに『自分を正式に雇ってください』と、正規就職を申し出ます。そのとき佐川さんは、自分にできることを示した志願書を、阿部さんに渡しました。1年で成果を出さなかったら、雇用継続はできない、という覚悟を決めてのことでした。

佐川「前職は成果を出すのが難しかったのですが、阿部梨園での仕事は手応えの山でした。課題がまだまだあるな、それは個人農家という小さい経営体にとって伸びしろだなと感じました。そして、阿部梨園の経営改善は、他の農家さんの気づきや助けになるかなという見込みがありました。あと、阿部梨園で仕事するのが単純に楽しくて。受け入れてくれて、したいことさせてくれて、大事にしてくれて。他の普通の仕事に戻ったら後悔するんじゃないかな、と思いました。」

阿部「来年もやってくれると聞いたとき、うれしくて涙しました。そのとき、自分の中に、4ヶ月いっしょにやってきた手応えがあったのだなーと気づきました。自分が手が回らなかったことを本気で提案してやってくれる、支えてくれる。私は梨作りをすごく頑張ってきたんですが、『よく梨だけでやってきましたね。経営改善すれば、もっとすごいことになりますよ』と言われたのが、雇用を決めた言葉だと思いますね。」

二人三脚の一歩目は、データを知ること

佐川「経営改善して利益にしないと僕がいる意味が無いので、販売は大変でした。マネージャーとして、お客さんのことや梨のこと、収穫や販売のオペレーションのことを知る・・・。「家業」にポンと入るのは、こんなに大変なのか、と初年度はすごく苦労しましたが、2年3年するとだんだんわかってきました。梨は日持ちせず、品種ごとの都合もあるので、とにかく出荷管理が大変です。また、果物の需要が減っているなかで、顧客を増やすのは2倍の力が必要です。そんな具合で大変だったんですけど、ありがたいことに2015年は売り上げが増え、無事継続して雇ってもらえることになりました。僕の仕事はコンサルタントっぽかったのですが、フルタイムでとりくんで、阿部梨園の一員になれたことも、うまくいった一因だったかなと思います。コンサルティングでも、農家の現場経験を積んでいる人は少ないので、阿部梨園での経験はこれからの自分の財産になります。」

二人三脚で走り始めて1年目は、いま振り返ると、どんな1年だったのでしょうか?

佐川「振り返ると1年目は濃いですね。1年目は、僕が阿部梨園の状況を知るために、阿部さんが日中畑に出る時間を減らして、“投資”してくれたと思います。過去の実績などの足りない数字やデータを集めるために、いくつも質問をして、ひとつひとつ答えを引き出しまとめました。インターンでは見られなかった決算書や労働条件など、2人で深い部分までえぐりました。そのようにして、お互いの勘所を知るのに、1年間かかりました。」

阿部「私にとっての2015年は、改めて自分がやってきたことを振り返る年になりました。佐川くんという能力の高いほれこんだ男の質問に答えるのも、参考になる数字、データがなかったので、私も大変でしたが、絶対佐川くんの方が大変だったと思います。私が記録していたら、やらなくてすんだのに・・・。苦労かけたなと思います。畑に入る時間が減り、仕事の時間配分が一気に変わりましたが、それまでと同じように梨を作ってくれた仲間もいました。それも含めて、ありがたかったですね。」

佐川「阿部梨園に入る前の、過去の実績などの数字がわかっているものだというイメージとは、違ったのは事実です。どの商品がどれだけ売れたのかもわからないので、値段の上げ下げもわからないんです。2015年は作業時間や販売のデータをとり、会計を整えて、1年かけて仕組み作りをしました。3年目で、ようやく上げ下げが見えてきます。そこに時間をかけたからこそ、今ははやく判断できることがあります。大変でしたが、それでよかったと思っています。生産者さんの99%は仕組みの無い状態です。もし大きな生産法人のように、数字やデータが揃っていたら、他の生産者さんの悩みもわからないままでした。僕の中に残る物もなかったと思います。」

阿部「私は苦労をかけたと思っているのに、良い経験になったと言ってくれるのは、佐川くんの視点の違いだよね。」

阿部「数字がわかり目標ができるだけでも、作業効率は変わるのかなとおもいます。例えば、今行っている枝切りという重要な作業も、1本の木を去年のスピードに負けないように意識しています。佐川くんは、こだわって作っているのをわかってくれた上で、それを生かして、やり方を考えてくれました。よく分析しているし、提案の仕方がうまいなと思います。手間をかける加減を、どこでつけるのか、適切なところを提案してくれるんですね。」

佐川「阿部さんは、僕のマネージャーとしての立場ややり方を尊重してくれたと思います。生産と経営で棲み分けていることで、お互いにリスペクトしあえるし、責任を持てます。阿部さんが勢いよく畑にでていくときは、僕もがんばろうと思います。」

「家業」への思い、「事業」へのきっかけ

2004年、阿部さんはお父様のもとで4年ほど修行したあと、26歳で梨園を受け継ぎました。お父様は、阿部さんの自立のために、梨園を全て任せ、いきなり引退したそうです。農業界で、これほど早くから家業を任せてもらえるケースは珍しいようです。佐川さんのインターン時に阿部さんが掲げた、「家業から事業へ」というテーマには、阿部さんの父親との関係や、梨作りへの思いが隠されていました。

阿部「農業は、小さい頃はあんまりやりたくなかったんです。農家のせがれとして生まれて、夜中まで箱詰めしてそのまま寝ちゃったとか、親の大変なところも見ているから・・・。でも、結局農業大学校に進学することになりました。父は頑固なタイプでしたが、期待はしてくれていました。受け継ぐときは、作業所を建ててくれたり、畑を整えてくれたり、私がやりやすいように相当考えてくれていました。預けられてから、気づいたことは多いです。」

「佐川くんが来てくれた時は、自分も梨園を受け継いで10年経っていました。仕事のペースもつかみ、自分のやりたい方針と、いっしょにやりたい仲間が決まっていました。佐川くんとの取り組みを、先代にやめろと言われてやめるなら、最初からやらない方がいいんですよね。実はインターンを募集する前に、変化を決断するきっかけになったできごとがありました。1年を通して力を貸してくれたパートさんがやめることになったんです。販路も広がり直売率も上がり、次のレベルにいけるところなのに、うちの環境が整っていなくてパートさんがやめざるをえない。それがさびしく、後悔がすごくあったのを覚えています。」

「農業界のこれまでの「常識」の逆を行こうという意識は、当時もすごくありました。人が増えると経費がかかるけれど、手間をかけることで良い梨ができます。スタッフを減らす例はいっぱいみていたので、人がやらないことをやろう、と思いました。スタッフを増やし、梨の箱のパッケージにもこだわりました。そこに、インターンの佐川くんの知識を合わせれば、阿部梨園独自の魅力になると思いました。佐川くんが本気で向き合ってくれたからこそ、ですけどね。そうやって、“家業から事業へ”を掲げたインターンシップが動き始めました。」

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阿部さんは経営改善の成果として、受け継いだ時は全くなかった休みを取ることができるようになり、家族と過ごせるようになったことをあげてくださいました。今の阿部梨園の就業時間は、朝8時から5時を基本に、最盛期でも仕事量はある程度決まっています。阿部さんや佐川さんは、そのほかの仕事もありますが、他の農家に比べるとゆとりがあるそう。同じ気持ちでやってくれる仲間がいるので、畑に出なかったり、家を空ける時が増えても、変わらずによい状態で梨園を管理できるようになったそうです。

「阿部梨園の知恵袋」と、阿部梨園の可能性

2017年の11月に開始したクラウドファンディングは、佐川さんがインターン時代から提案してきた小さな改善ノウハウを公開するオンライン知恵袋を作りたいという趣旨でした。わずか7日間で目標金額を達成して誕生した、「阿部梨園のオンライン知恵袋」。佐川さんが、個人農家の方が経営で同じ悩みを抱えていることを知り、それならば情報を公開しようという発想で始まりました。経営改善のアイデアの出し方、書類の仕分けから、タブレットを使ったairレジや会計ソフトfreeeまで、基本的かつITも活用した、農家以外の方にも役立つサービスです。情報を公開して、変わりたい農家がつながり、支えあうコミュニティをつくろう、という発想で始まりました。

佐川「経営の仕組み作りは、農家さんが、あったらいいとわかっているけど、できない部分です。なぜできないんですか?ということよりも、いかにコストをかけ過ぎずに仕組みを作って、日々の業務の中で回していくのかが重要です。そして、気にしつつも手が回らない、ぼんやりした悩みの解像度をあげるのが、経営の仕組みをまとめた「阿部梨園の知恵袋」なんですね。阿部梨園が達成した経営改善を描写して、他の農家さんも得られる利益がわかれば、やりたい気持ちになる人が出てくるんじゃないか、他の農家さんの気づきになるんじゃないかと思い、無料公開することにしました。僕は、知恵袋は企業の社会的責任でもあると思っています。常識から外れたことをして、周りの人の役に立てたのならいいなと思います。作るのは大変でしたよ。視力落ちました(笑)。リリース日を決めたせいで、自分の首をしめましたね」

佐川さんは、阿部さんと相談の上、2019年の1月からは阿部梨園の仕事は週2日とし、農業界の課題を解決するために独立して事業を展開していくことにしたそうです。

阿部「これだけ重要なポジションを担ってくれた仲間がいなくなるので、それで大丈夫という強がりを言うほうが危ないです。でも、佐川くんが中心となってやってくれたことを、阿部梨園は、“保てる”“続ける”という時期が必要かなと思うんです。今までやってきたことをちゃんとできるかということに力を注ぎたい。なじんできて、それが普通になるかが試されるところかな、と思います。例えば、仕事量のピーク8月の人手を、なるべく平準化するチャレンジも考えています。展望としては、新しい畑の梨が来年収穫を迎えます。3年前に植えた畑です。果樹はなかなか規模拡大できません。手間をかけて作るタイプなので、拡大しすぎると品質に影響が出て、お客様に迷惑をかけてしまいますから。」

佐川「まさか新圃場の初収穫前に身を退くとは全く思ってなかったです、僕も待っていたことなので・・・。離れることになるとは思っていなかったけど、そういうタイミングなのだと思います。」

阿部「知恵袋のような佐川くんにプラスになる活動にブレーキにならないように、安心させられれば、というくらいは言わせてもらいたいです。」

佐川「阿部梨園にこれまでと同じ良い梨園として継続していって、僕も派生する形でやりたいことがでてきたので、負担をかけずにやっていく、良い関係ができればいいかなと思います。独立した後の心配してくれるなんて、神対応ですよ(笑)。引き留めず、むしろサポートしてくれているので、僕も恩返しに良い物を阿部梨園にもちこみ続けなきゃという感じですね。農業者のための講習会や、コンサルティングなど、付加活動しながら、阿部梨園を認知して認めてくれる、梨を買いたいと思ってくれる人が自然に増えればいいかなーと思います。そこまで本気でやっている梨園なら、絶対おいしい梨だよね、とわかってもらいたいです。」

佐川流、農業の組織論

現在、阿部梨園には若手の正規社員がいます。佐川さんによると、阿部さんはやさしいタイプで、スタッフをほめることを大切にする人。そこで佐川さんがプレッシャーをかける側に回ることもあるそうです。

佐川「僕は、仕事の上では、スタッフの気持ちを代弁することもあるし、阿部さんの意思を伝える側に回ることもあります。僕自身はフルタイムの正規社員には、一人前に仕事できるように育ててあげるのが親心というか、長く働いてもらうために、梨のプロってだけじゃなく、段取りができるとか意思決定ができるとか、数人でコミュニケーションができるとか、汎用的な業務スキルを若いうちに磨いてあげたいと意識しています。どこでも通用できる人になるのが、梨園にとってもいいし、本人のためにもなる。もっと成長してほしいし、ここで働く付加価値が伝わったら、うれしいなと思いますね。やりすぎかな、と思うこともありますが(笑)。」

阿部「農家ではやりすぎかもしれないけど、世の中ではあたりまえかもしれないからね。組織論の、そういう感覚をもちこんでもらっているのは大きいよね。」

佐川「経営の人間的部分が、特に農業という家業では重要です。人間的部分がないと、農業が産業として続かないと思うんですよね。農業のIT化も、理屈だけではうまくいかないと思うんです。ぐちゃぐちゃした部分を受け入れて、引きずりながら前に進んでいく、温かい解決策で包んであげる、その気持ちがないと、農業界全体は変わっていかない。僕にとっての阿部梨園の経営改善は、そういうものでした。」

熱いW主人公から学生へのメッセージ

パートナーシップで協力し、変化していくのが、マンガの主人公たちのようだと思い、自分やお互いをマンガのキャラクターに例えると? という質問と、学生へ伝えたいことを尋ねてみました。

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佐川「僕は自分の自己意識としては、スラムダンクの仙道みたいにイメージしています。仙道は抜けてる天然キャラで、私のように仕切るタイプじゃないんですけど、『仙道だからなんとかしてくれる』と周囲に安心してもらいたい気持ちです。『任せた!』というのをキャッチできる人でありたいです。阿部さんは、同じくスラムダンクで言えば赤木っぽいイメージでした。部長でキャプテン、熱くなりすぎて不器用な人。」

阿部「いいこと言うなー! 赤木のセリフで『早くこのチームを全国のやつらに見せてやりたい』というセリフがあります。佐川くんも含めたメンバーに対して、その意識はあります。」

佐川「赤木がバスケに熱くなりすぎて、仲間がやめちゃうシーンがオーバーラップするくらい、阿部さんは梨作りに熱いと思ってください(笑)。」

阿部「学生さんへのメッセージですか? 阿部梨園には、若手の正規社員がいます。今のチームには、それぞれの良さがあって、いろいろな経験を持ち寄って、いい具合に合わさっています。学生さんには、そんなところを見てもらって参考にしてもらえたらと思います。若い人が多いというのも、信じられないと言われます。直売のことを理解して、それぞれがちゃんと思いをもって仕事をしている。学生のみなさんも、それぞれの良さ、能力があるから、本気でぶつかって、責任を持って発言してください。それは立場が上の人にも響くし、逆にリーダーはそれを無視してはいけないと思います。農業界の凝りや固まりをほぐすのは、大変ですけどね。」

佐川「僕からは、現場をもっと見て欲しいと思いますね。現場にしか答えはないという感覚は強いです。僕は勉強好きなタイプだったんですけど、現場を見ないまま卒業したのは残念だったなと思います。実体を見るっていうのが得がたい体験だなと思います。それから、今、生産者さんとの勉強会のイベントを開けるのも自分が学生時代に環境系のサークルを立ち上げて頑張っていたときの企画スキルが役に立っていますね。現場にでることと、答えがない方に動いてみる、という2つが大事です。」

「守りながら変えていく」で達成した、直売率100%

インタビュー後、直売コーナーと畑の見学をさせてもらいました。
阿部梨園の一番の繁忙期は、幸水を収穫する8月です。実はその時期に、短期でアルバイトさせていただきました。2018年は、高校生や大学生、社会人も多くアルバイトし、様々な経験をもった20名以上のメンバーで作業しました。

直売では、その日に採れた梨をその日のうちに販売・発送できます。だから収穫では、完熟した果実のみを見た目や手触りで確かめ、収穫します。その時期には、午前中は収穫、そして収穫したものから選果し、午後は箱詰めと発送を行いました。直売コーナーにはひっきりなしにお客様が訪れ、採れたばかりの梨を買い求めます。

阿部「佐川くんが来る前から、直売コーナーは作ってはいたんですが、梨の流れや配置をみんなで考えて、今の形に変化しました。」

佐川「お客さんと直接会えるのは幸せなことです。直売じゃなかったら、僕の出番も少なかったでしょうね。ダイレクトにつながれて、どこを変えてもすぐお客さんに響く。直売だからこそ、個性や付加価値を出していきやすいんです。」

2018年は、幸水を完売したことで、全ての梨を「阿部梨園の梨」として販売する、直売率100%を初めて達成しました。これは、阿部さんが梨園を継いでから、いつか達成したいと思っていた悲願でした。

畑で、「枝切りどうですか?」「いいねー」とお二人が談笑している様子から、梨作りに同じ思いで向き合ってきたことが伝わります。阿部梨園は枝全てにひもをかけ、しばる数も多いそう。その方が生産をコントロールでき、台風にも強くなるそうです。

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阿部「枝切りは、次の年のスタートとして、とても重要視しています。枝の切りかたや伸ばしかたは、すごく感覚的で経験に基づくものがあって、一番難しいかなと思っています。11月の半ばから3月いっぱいくらいまで、長い期間やります。」

「これは良い梨ができるなー」1つの枝を見ながら阿部さんが言います。切る場所で、来年のできが変化します。阿部さんは枝を見るだけで、来年どのような梨ができるかわかるそうです。阿部梨園の甘くおいしい梨は、技術の結晶なのだとわかりました。梨の栽培技術の継承について、阿部さんが言うには、佐川さんからよく「頭からスキルを取り出したら、後は形にするだけ」と言われるそう。それは、阿部梨園の知恵袋と同じように、感覚的な技術の解像度を上げ、知識を共有することで、技術を向上するということなのだろうと思いました。

阿部梨園は10年前、お父様から受け継いだ阿部梨園の良さに、自分らしさを加えたいという思いから、「守りながら変えていく」というテーマを掲げました。この言葉は、作業場にも、ホームページにも、パンフレットにも記されています。阿部さんは今、新たな変化を感じています。畑から戻る時の、おふたりの「何を守って、何を変えるか。守るものも、変わったね」という会話が、とても印象的でした。

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インタビュー・執筆
笠原綾子|農学部農業経済学科2年

私は農学部の農業経済学科で学んでいます。阿部梨園さんでアルバイトしようと思ったのは、農業の知識を学びたかっただけでなく、経営改善やクラウドファンディングなど、個人農家としては珍しい取り組みに興味を持ったからでした。実際にアルバイトをして伝わってきたのは、そのあたたかさでした。最盛期だったので、家族経営でありながら、正規社員やアルバイトの方と協力しあって作業しました。そして、多くの方が梨を買いに訪れ、地域のコミュニティでの役割を果たしています。今回のインタビューでも、「阿部梨園にようこそ」とあたたかくむかえてくれ、長くなったインタビューにも真摯に答えてくださいました。試食させていただいた梨「にっこり」は、本当においしかったです。
阿部梨園の経営改善は、「阿部梨園の知恵袋」によって、農業技術は視察などによって、農業界全体に広まっていきます。インタビューだけで捉えるのは難しいと思うぐらい、その懐は広かったです。今回の記事は、ひとつひとつの言葉に込められた思い、メッセージを受け止め、学ぶ機会になりました。ありがとうございました。

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