休学・起業、独自の道を進んだ、その心は 休学・起業、独自の道を進んだ、その心は 休学・起業、独自の道を進んだ、その心は

今回は、宇都宮大学を2年間通った後に休学(4年次中退)し、独自の事業を立ち上げて活躍している土橋優平さんにインタビューしました!!自分の道を進むことは楽なことではないが、楽しいと語る土橋さん。なぜ学校という守られた環境から抜け出して「休学」「起業」という道を選んだのか、そしてその経験から語られる「就職」とは?!

なぜ、休学して起業を?

僕は大学生の頃、農学部の生物生産科学科で主に化学を学んでいました。ただ僕は農作業そのものが大好きだったんです。特に自然に触れるのが好きでした。色々な動物がいて、カエルがいて、しかもたくさんの種類がいて、夏になると卵をたくさん産んで「うえ、気持ち悪い」と思いながらも持ち帰って育てたり。米を育てて収穫して食べるまでの過程が好きだったり。そういった自然の流れに自分が関われるのがすごく楽しいなと感じていたんです。なので、農業を学問として学ぼうといった時に、化学が自分に合わないなと思い始めました。自分が好きだったのは自然や動物や農作業だったんだって気づいた事が休学を考えるきっかけになったと思います。

それ以外にも、サークル活動で学童保育の運営や植林活動などのボランティアをしていくなかで、0からものを作る楽しさを感じて、学校以外での楽しみに出会えたことも自分の気持ちを後押しする経験でした。

休学する頃は、貧困や戦争など、世界の厳しい環境下で一生懸命に生きている人たちの姿を取り上げるジャーナリストを目指していた事も休学を決意する要因だったと思います。

休学することへの恐怖心はあった?

無かったと言えば嘘になりますね。ただ休学しようと考えていた時には不安はなかったんです。その時はただ親に賛成してもらえるかどうかということだけ。休学前、「成人式の日に青森の実家に帰るからその時に話そう」って決めていたんです。でも成人式まで2〜3日滞在していたのに話せなかったんですよね。それで当日に打ち明けると、やっぱり猛反対されて…。今まで一方的に怒られることはあっても喧嘩したことは無かったんです。「将来はジャーナリストになって、世界の貧困や戦争について取り上げて生きたい」だなんて、親はそんな危険なことさせたくないので猛反対です。それに僕は計画性がないので、「そんな軽い考えで大丈夫なのか?」と父親に諭されたり。でも自分の中にはもう覚悟があったので「縁を切ってでもやる」と言ったんです。これはもう反対されてでもやろうって、なんとしてでもやろうって新幹線に乗りながらずっと考えていたんです。でも「何てことを言ってしまったんだ」っていう感じですよね。しばらくして冷静になってボロボロ泣きだしてしまいました。その日はなんとなくそれで終わって、成人式には行けませんでした。あはは。次の日、母が最寄りの駅まで送る事になっていたんですが、父が出発前に遠くで「やりたいようにやれ」みたいな表情で応援をしてくれたんですね。少しでも応援してくれているのかなと思ってその時は安心しましたね。でも休学直前の3月の学生インターンでお世話になったNPO代表の方と休学後どうするかという話をしていたら、急に恐怖心が出てきて大泣きしてしまいました。やっぱり怖かったんです。

ジャーナリストを目指していた頃の経験は今につながっている?

休学する頃にジャーナリストを目指していた事が、直接的に今につながっているわけではないですが、そもそもジャーナリストになりたいと思っていたのは、世の中に起きていることを知らない人々に事実を伝えて、『今よりもっと多くの人が、目的をもって、一日一日を大切にして生きていける世の中を作りたい』と思っていたからなんです。あくまでジャーナリストはこの目的を達成する一つの道だと思って目指していました。でも今はジャーナリストになりたいとは思っていなくて、「本当に自分の考えている世の中をつくるにためには、自分には何が必要で、何ができるんだろう」とずっと考えながら動いてきました。

そして休学する頃に、NPO法人とちぎユースサポーターズネットワークのインターン(以下、「ユース」)があったんです。その代表とインターンの内容をどうしようか考えていたんです。そこで「働く大人のリアルな声を学生に伝えるのって面白そうだよね」という話になったんです。その時にたまたまFacebookで「20の夢」というクラウドファンディングのキャンペーンで若い人たちの夢を叶える企画をやっている事を知ったんですね。それで、応募してみよう!となって応募したらたまたま受かったんです。

ユースの代表の方に「インターンのプロジェクトとしてやるか、土橋個人として20の夢でやる?」と聞かれて「土橋個人としてやりたいです!」と答えて、今の「キーデザイン」の前身である「学生と社会を繋げる団体 Be」ができました。

今は「キーデザイン」というNPO法人の代表理事として活動しています。2016.12.8には「学生ソーシャルピッチ」という、学生が地元の企業のみなさんに対してプレゼンをして自己PRをする、つまり逆求人のようなイベントを行いました。また、2015年には中小企業と学生のマッチングをする就活イベントを企画しましたね。

農学部の生物生産化学科で主に化学を学んでいた土橋さん

自分にあった職に就くには?

まず「就活をしよう」と思って就活してほしくないなって思ってます。就活をしようって思っているとなにか調べたり聞いたりする時にも「就活だから」っていう前提条件から入ってしまいがちですが、それはあまり良くないと思うんです。3月には情報解禁があって、企業と出会うために合同説明会に行かなくちゃいけないとか。でも全然そんなことなくって、「あ、ここ面白い会社だな」って思ったら、どんなに大企業だろうと、逆に小さな企業だろうと、手紙を書いて送ったり、電話したり、直接訪問したりして、社長や部長、社員にでも話をしに行けばいいと思うんですよ。もし本当に熱意があって、「うわ、この人面白い、絶対伸びるぞ」って思ってもらえたら採用になると思うんですよね。本当にやりたいことだったらその熱量をしっかり相手に伝えて欲しいんです。だから「今の社会の流れでは不可能だ」って諦めないで欲しいなって思いますね。それこそ3年生になってから動くっていうんじゃなくて、1年生からでも動き出してもいいと思います。

本当にやりたいことを見つけるには?

まずひとつは、自分が今まで生きてきた中で嬉しかったりとか、むしろ悲しかったりした事を思い出してみて欲しい。それと、過去の自分と向き合って欲しいなって思います。なんでその時にそういう気持ちになったのか、しっかり考えて言葉にして欲しいです。そうやって見つけた言葉たちは、自分の大切にしているものに必ずつながってくると思うんですよね。

例えば、「学生の頃、友達に数学の問題を教えたら理解してくれて、すごく嬉しかった」っていう理由から就職先を考えていたら、教員っていう職業しかないようにも思えますよね。でもその感情を満たすことができる職業ってそれだけじゃ無くて。例えば会社に入ると、最初は新人として教わる立場だと思うんですけど、だんだん後輩ができて仕事を教える立場になった時にも満たせる感情ではあると思うんですよね。だから業種や職業に絞るんじゃなくて、本当に自分が嬉しいと思う瞬間を言葉にする事がまず必要なのかなって思います。そのためにも色々な人と話をする。なかなか自分に問いかけて答えを出すって慣れてないと難しいと思うんですよね。だからそのために親とか先生、友達と真面目に話をしてみる。「自分は今こういうことを考えてて、手伝って欲しいんです」みたいな。そういう対話の中で自分と向き合うと見えてくるものがあると思います。

ふたつめは、やりたいことがない事を嘆いてしまう傾向があるなと思います。別にやりたいことって無くてもいいと思うんです。あれば楽しいんでしょうけど、無いからってそれが悪い訳じゃなくって。実際に生き生きと仕事をしている人って偶然に出会った仕事だったりするんですよね。なんで今この仕事をしているんですか?って聞くと「はじめにこれをやりたいってことはなかったけど、たまたま紹介してくれて」とか「友達に誘われて」とか、偶然や運命みたいな特に理由もなしに始めた人って結構多いなと思っていて。だから、やりたいことが無いとしても、自信を持って欲しいと思います。

もし見つけたいと思うなら、過去の自分と向き合うとか、いま楽しいなって思うこととか、嬉しいこととかに向き合って徐々に見つけて行ったらいいと思うんです。

悩んでいても何も始まらないので、とにかく動いてみるのがいいですよね。

インタビュー・執筆
赤川秀之|地域デザイン科学部建築都市デザイン学科1年

土橋さんの活動や想いには大学生時代から一貫性がありました。それは、1つのことだけをやっていたわけではなく、たくさんの経験が重なり合った部分そのものなんだなと思いました。土橋さんの学校を休学する事への勇気と、あきらめずに貫いた根気は物凄いと思いました。自分の本当にやりたい事に対して、まっすぐに進んでいく姿はとても頼もしく感じ、僕もそういう風に自分自身と向き合って、自分のやりたい職に就けるように努力したいと思いました。

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