失敗を糧に学ぶ 失敗を糧に学ぶ 失敗を糧に学ぶ

失敗を糧に学ぶ

宇都宮大学の教育学部小学校教員養成課程社会専修を卒業、その後大学院教育学研究社会科教育専修にも進まれ、現在は宇都宮市内の小学校で4年生の担任をされている齋藤崇晴先生にお話を伺いました。

教室は間違うところ

小学校の時の担任の先生の授業が面白かったんですよね。それでなんとなく憧れて、小学校の先生になりたいなーと漠然と考えていました。実際、教師になってからもその時の担任の先生にはお会いする機会が何度かあり、今は校長先生をされています。そして中学生の頃には小学校の先生になりたい!とはっきり思っていました。高校進学後もやっぱり小学校の先生になりたくて高校の時の担任の勧めもあって、地元で教育学部のある宇都宮大学を目指していました。ただ、一回では合格できなくて一年間予備校に通って浪人しました。一度試験に落ちていたので、二度目はもっと勉強したり、友達と問題を出し合ったり、仲間と協力してやっていました。一回の失敗が逆にバネになっていました。その経験もあって、子どもたちには常に「失敗から学ぼう」とか「教室は間違うところ」という事を教室内に掲示して教えていますね。孔子も論語で「過ちて改めざる、是を過ちという」と言っているように、間違いをしたことは間違いではなく、間違いを直さない事が間違いなんですよ。次に失敗しなければそれでいいんですよ。もちろん直さなきゃいけないけどね(笑)。

浪人したこと以外にも、日々の失敗もたくさんありますね。授業が上手くいったかどうかとか、授業の材料不足とか教材研究不足だったなーとか、子どもの考えを引き出せたかなーとか、子どもへの投げ方次第で学びが変わってくるので。あとはまあ、子ども同士のトラブルやけんかに対する対応についての反省とか…。でもそういう失敗とか反省とかがある分やっぱり、子ども達の目が輝いていたり、「分かった!」という反応をしてくれて勉強楽しいなって思ってもらえたりした時はすごく嬉しいですね。あとは、学んだ事について「先生!これってこういうことだよね!」って自分でアウトプットしてくれた時は本当に嬉しいですね。

道徳は教えられるか

来年度から道徳の授業が教科化されるのですが、教科化されるということは教師が評価しなくちゃいけないんです。ただ、道徳では三段階評価だとか点数による評価をつけるのではなく、所見評価といって文章で評価するんです。自分としては「教えるだけの道徳」ではなくて、色んな価値観をみんなで話し合ってジレンマを感じたりする「話し合う道徳」というイメージでやっています。教科化にあたって、今まで学校で据え置きだった道徳の教材が、教科書として子ども達に一人一冊配られることになります。そういった教材の内容も、最近は文科省も言っている「考え、議論する道徳」といったものがメインになってきていますね。学校教育全般も、教師が生徒に教える、というよりは子どもが主体的・対話的に深い学びを得られるように変わってきているようです。そういった教育での変化が起きることは、ある意味、自分が小学生の時に抱いていた小学校の先生に対する憧れとか目指す教師像っていうものと少し変化してきているという気はしています。

子どもの考えを引き出す時も「自分におとす」という事を意識してやっています。自分だったらどうする?というところまで考えないと、物語の中の世界だけで他人事になってしまうので。題材もなるべくありえない話よりは生活に根差したものとか、今の子ども達に近いものを扱って、自分事として考えられるようにはしていますね。

というのも大学生の頃は社会科の中でも哲学専攻で、哲学者や思想家の考えを基に、広い意味での道徳教育について学んでいました。「道徳は教えられるか」というテーマで卒業論文も書きました。結果として答えというのは出なかったですけど、簡単に言うとルールとしての道徳は教えられるけど、生き方とか価値観としての道徳は人それぞれなので教えられない、というところにたどり着きました。また去年、16年半ぶりに現場を半年間離れて内地留学をし、大学でまた授業を受けたり研究会に参加したりといろいろと勉強していました。大学院生の頃よりも現場や子どものことを知った上での研究になるので、現場の課題を知りつつも客観的に見られるというか、良い学び直しになりましたね。学生という立場も懐かしくて古巣に戻ったような気がしていました。ありがたい時間でしたね、いやー、学生っていいなあ(笑)。ちなみに内地留学中のテーマは主権者教育で、18歳選挙権の時代になったので、いかに子ども達に政治的な考え方とかスキルとかを話し合わせるか、いかに選挙に興味をもってもらうか、子どもが主体の授業とは、などを研究していました。そのような機会もあって、授業に対する意識も、自分が教えるというよりは、子どもが主体で創っていく授業にするには、というふう変わりましたね。こうして考えてみると、大学生の頃から道徳教育とか社会科教育とか、主権者教育とか、どう生きるかというところにある程度テーマが一貫していたみたいですね。

風通しの良い学校

毎月学校で子どもに対してアンケートをとっていて、誰が今どんな悩みを抱えているのかなーってことを把握したり、何かがあった時でもなるべく初期に発見することが大切なので、すぐに話を聞いたりして、早期発見できるように努めています。そういったことも全部、担任だけで行うのではなくて、児童指導主任に全部報告して、何かあった時は子どもと担任の一対一ではなく、すぐに学校として組織的に対応するようになっていますね。何かあった時すぐに分かるように普段から風通し良く、先生同士で情報を伝え合ったり、子どものことで相談したり、ちょっとした雑談からでも、子どものなんかちょっといつもと違うな?というところに気付けたりするので。改めてあの子は...というよりは、そうえいばあの時、何組の○○ちゃんがおかしかったよね、と分かるように情報交換は先生同士で毎日していますね。あと、女の子たちの悩みとか、女子同士の雰囲気とか、やっぱり男性の自分には分かりにくい部分もあるので女性の先生によく相談したりもしていますね。学校としても色んな選択肢とか対応というものは準備してあって、例えば学校内だけじゃなくてスクールカウンセラーの先生とか、市の教育センターにある教育相談窓口と繋がって、外部との連携も図っていますね。そのためにも、外部の機関や保護者の方々とも風通しの良い関係性を作れるよう日々意識しています。

自分が言うのもなんなんですけど、大学生のみなさんは、出来るだけ色んな人と関わって、自分自身をよく知ることができたらいいですね。大学の友人や先生、サークルの仲間、アルバイト先の人とか…。特に自分は大学院の仲間と教員採用試験合格のために一緒に問題を出し合ったり、面接練習し合ったりしたことがモチベーションになっていましたね。思い返すと大学入試の時もそうだったので、出来るだけ色んな人と関わって欲しいですね。

インタビュー・執筆
葛原南美|宇都宮大学国際学部国際社会学科

平日お仕事の後に若干長時間の取材を受けてくれた齋藤先生には感謝でいっぱいでした。教室で子ども相手に教えている風景も、ご家庭でお子様と遊ばれている風景も会った瞬間に想像できてしまうようなとても優しい方で、穏やかに取材させて頂くことができました。今の時代は特に教育の現場は繊細な部分が多いと思いますが、齋藤先生は丁寧に自分のことや学校のことを教えてくださいました。教育は社会を構成する人間の基礎を作る場だと思います、齋藤先生のように人間の内面を成長させてくれるような指導が社会全体で求められると感じました。

  • 小さな過疎の町の挑戦