とちぎヤマビル研究事始め とちぎヤマビル研究事始め

大学2年生の時だったと思う。当時、岩登り・沢登りにと山に足繁く通っていた。群馬県谷川岳の南面の沢を登って、夜テントで靴を脱ぐと、靴下が赤く染まり、足に黒い生き物がついていた。これがはじめてのヤマビルとの出遭いだった。それまでヒルというと、田んぼにいる緑色のウマビル(吸血性はない)や、昔はよく田んぼで血を吸われたというチスイビルなど、水の中のヒルしか知らなかった。ヤマビルといえば、泉鏡花の「高野聖」のイメージしかなかった。この時、実際にヤマビルをみて、長く記憶に残る存在となった。

ここでヤマビルについて、もう少し詳しく説明をしておきたい。このヤマビルは正確には「ニホンヤマビル」といい、体長は縮むと1.5cm、伸びると4.5cmほどで、焦げ茶色に黒い縦縞の入った生き物である。(写真下)

雨合羽を登るヤマビル(写真提供|逢沢峰昭)

田んぼなどにいる水生ヒルに対して、陸生ヒルと呼ばれる。ニホンヤマビル(以下、ヤマビルと呼ぶ)は、日本固有で、秋田県から屋久島までの本州、四国、九州に分布する唯一の陸生ヒルである。ヤマビルは、体の前後に2つの吸盤があり、この吸盤をつかってシャクトリムシのように動く。そして、二酸化炭素、熱、振動に反応してヒトなどの吸血対象に近づく。動きが素早いため、大抵の場合、ほとんど気づかないうちに皮膚に食いつかれる。ヤマビルは吸血時にヒルジンという血液を凝固させない物質を出すため、吸血後、ヒルが離れた後も血液がしばらく出続け、気づいた時には服が真っ赤に染まっていることが多い。出血によって死に至ることはなく、病気の媒介も知られていないが、吸血後の見た目にショックを受ける人も多いかもしれない。このように吸血が人の印象に残ることから、古くは江戸時代の書物にみられるほか、先の「高野聖」(ただし、これは創作だろう)や島崎藤村の「夜明け前」などの文学作品や山岳紀行文などにもしばしば登場する。昔からヤマビルは木から落ちてくるといわれているが、これは間違いのようだ。ヤマビルは動きが素早いため、気づかないうちに首や頭部にいることが多く、上から落ちてきたようにみえる。

ところで、このヤマビル、最近栃木県でも増え始めている。塩谷町の高原山山麓や鬼怒川温泉周辺、鹿沼市、佐野市などである。栃木県北部に我々の研究室の森林の調査地があるが、2008年には全くみられなかったものの、2010年頃から増え始め、今日では夏の雨の後などには、ヤマビルが毎回必ず靴の中に入っていたり、吸血していたりする。ヤマビルが増え始めた年は地域によって異なるようだが、全国的にヤマビルが増加しており、人里近くで被害が出始めたり、林業作業を行う上での支障となり始めたりしている。今日、シカによる林業被害が全国的に問題化しているが、ヤマビルの増加の時期がこれとおおむね一致することから、ヤマビルの増加は大型哺乳類の増加と関係しているといわれている。

長く気に留めていたヤマビルだが、3年前に国から研究費がもらえることになり、不幸か幸いか研究対象になった。ヤマビルは先に述べたように、シャクトリムシ様に移動することから、本来移動性は高くないと予想される。そのため、今日分布拡大しているヤマビルは元々昔からいたものが、何らかの原因でその周辺に広がったと予想される。そこで、ヤマビル自身のDNAを調べれば、この点について明らかにできるのではないかと考えた。また、ヤマビルの体内に残っている吸血した動物の血のDNAを調べることで、ヤマビルがどんな動物の血を吸って、ヤマビルが運ばれているのかがわかるのではないかと考えた。たまたま、この時期にヤマビルを研究したいというMさんが修士課程に入学してきて、研究に着手できた。少壮気鋭のMさんは博士課程に進み、現在も研究を続けている。我々の予想通り、ヤマビルは昔からいた場所から狭い範囲で広がっていることが示唆されるデータが得られている。また、DNA解析の結果、全国的にシカがヤマビルの最大の運び屋であることは確かなようだ。一方、シカのいない地域では、これまで知られていなかったカエルを主な吸血動物としているようで、まだまだ新しいことがわかってきそうだ。

ヤマビルの多い場所に行く場合は、ヤマビルの忌避剤が市販されているので、これを靴などにつければ、ある程度の対処はできる。一方、なぜそこでヤマビルが増えているのかといった原因を知ることも重要であろう。我々の研究で得られた知見が将来的にはヤマビル被害拡大の抑制対策につながるなど、少しでも地域に貢献できればと今考えている。

文|農学部森林科学科 准教授 逢沢峰昭
イラスト|教育学部美術教育 吉永健留
  • Uターンした3代目が考える「一歩ずつ前へ」の改革 株式会社亀田産業株式会社